安岡襄のブログ

アクセスカウンタ

help RSS 海外旅行北米、中米編5(2003年)

<<   作成日時 : 2005/08/24 11:47   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
ベリーズからメキシコシティまでの旅です。

写真はメキシコシティ

ぶらり海外旅行アラカルト(北米、中米編5)

 朝起こしてくれないフローレスのホテル
 せっかくモーニングコールを頼んでいたが、早朝4時半になっても誰も起こしてくれなかった。5時少し前に一階に降りたが誰もいないので、大声で叫んで人を呼んだが、玄関を開けてくれただけで、ロビーでは待たしてくれなかった。
 ベリーズ行きのバスが35分遅れで来て、ようやくピックアップしてくれた。
 小型バスは対岸のエレーナとティカル遺跡の入り口で数人をピックアップしてから、東に向かって進んだ。途中でグアテマラの国境があり、ここで入国時に渡された紙が回収された。途中雨に降られたが、道路は未舗装だった。
 ベリーズ・シティに近づくにつれて工場やレストランが見えはじめ、中には旧字体の漢字の看板があるので、この国は台湾か香港と交流が在るらしいことが分かった。ベリーズ・シティの到着も10時着の予定が30分遅れて、船着き場のマリン・ターミナルへ到着した。

 英語の通じる国ベリーズ
 ベリーズはもとイギリス領ホンジュラスと呼ばれ,1981年9月21日に独立した,中央アメリカで最も新しい独立国である。
 ベリーズは昔からマヤ系原住民の住む地域であり、スペインがグアテマラに総督府を設置して以来、グアテマラの版図にあった。しかし、ベリーズの地域は総督府から見れば人口希薄の僻地であった。1638年にイギリスの武装船団(海賊)がベリーズ沖の小島に寄港し、イギリス人が定着するようになった。人口の増加に従い段々英国人は大陸の現在のベリーズ市付近に定着するようになり、しばしばグアテマラとの領土紛争が起こり、一時グアテマラは英国人を追放した時期もあったが、1763年のパリ条約、1783年のベルサイユ条約を経て、イギリスはグアテマラにベリーズ地域の使用を認めさせ、1862年にはジャマイカの属領として、イギリスの植民地の一部となった。1884年にイギリス直轄の植民地になるとともに,イギリス領ホンジュラスと呼ばれるようになり、1973年にベリーズと改称した。 ベリーズは1964年には内政自治権を獲得しているが,グアテマラとの領土問題もからんで独立は遅れた。1980年11月に国連でベリーズの独立が決議され,それをうけて翌81年3月には,ベリーズ,グアテマラ,イギリスの三者会談が行われ,独立についての基本的合意が得られた。しかし,グアテマラは後に国境問題を理由に独立反対にまわり,81年9月7日にはグアテマラとイギリスが断交するにいたった。同年9月21日に正式に独立し,9月23日には156番目の加盟国として国連に加わっている。
 なお,日本との国交は独立後の1982年11月に始まった。         
 この国はユカタン半島東部にあり,北と北西でメキシコに,西と南でグアテマラに接している。ベリーズ「泥水」を意味するマヤ語に起源をもつといわれている。人口は約24万人と少なく、住民は混血(ムラート)が70%を占め,残りはマヤ系住民や黒人が中心である。イギリス連邦の一員であるため,イギリス女王を国家元首とする立憲君主国の形をとっている。1981年に施行された憲法により,国会は総督が任命する議員8名からなる上院と,選挙で選ばれる定数28名,任期5年の下院からなる。公用語は英語だが,スペイン語やマヤ語も話されている。
 ベリーズは北アメリカ大陸では,エルサルバドルに次いで小さい面積で約2万3千平方キロの国家である。南部にはマヤ山脈が走り,北半分は低地で,ベリーズ川などがつくる沼沢地がほとんどである。カリブ海と接する海岸線は280キロにおよび,沖合には世界第2のサンゴ礁がのびている。 気候は亜熱帯性で,乾季(2〜5月)と雨季(6〜11月)があり、7月から11月にかけて,しばしばハリケーンの襲来がある。国土の3分の2以上が森林地帯で,野生動物(鹿,ジャガーなど)も多い。土地の13%余りが利用されており,移動焼畑農業が営まれ,最近ではサトウキビや果実のプランテーションも増えている。
 経済活動は伝統的に木材輸出を基盤にしてきたが、1960年以降は砂糖とかんきつ類(オレンジ,グレープフルーツなど)の輸出が中心になっている。米,トウモロコシなども生産され,肥料や食品などの国産化が進行中である。鉄道は無く,道路や河川交通が発達している。
 ベリーズには有名なアルトゥン・ハというマヤ遺跡があり、7世紀を中心に約1300年間栄えたと言われているし、その他マヤ古典期遺跡のカラコルもあるが、今回の旅行ではモンテ・アルパンとティカルという2大遺跡を見ることができたので、ベリーズの遺跡は割愛することにした。
 ベリーズのもう一つの特徴は海岸のリゾート地で、サン・ペドロ、キー・カーカーなどが、ダイビング、シュノーケリング、フィッシングなどで有名であるが、ゆっくりと海岸で寝そべる旅でもないので省略することにした。
 ベリーズの首都はベルモパンでベリーズ・シティの西81キロの高地にあり、ベリーズ・シティが1961年10月のハリケーンによる洪水で大被害をこうむり,首都は1970年にここに移転した。 現在ベリーズ・シティに全国の人口の4分の1が集中しているのに対して、この首都は僅か5千人足らずの行政機構だけの町であり、ベリーズ・シティは依然として経済上の首都であり、同国の主要な港湾都市としても,輸出入の多くを掌握している。
 私は昨年スロバキアの首都プラチスラバを訪れて、ここが首都としては一番さえないところだろうと感じたが、ベリーズはそれにも増して、古い木造の平屋や2階建てが中心を流れるホーラバー川に沿って立ち並んでいる、こぢんまりした街並みであった。
 ベリーズの通貨はベリーズドルで、2ドルが米ドル1ドルに固定されているので分かりやすかった。

 旧首都ベリーズに居た日本の青年
ベリーズ・シティの中心はスイング橋というのだが、そこらのちょっとした川にかかっている橋であった。タクシーを拾ってホテルに行こうとしたが6ドル(米ドル)というので、橋を渡って所にある、イザベル・ゲストハウスが「地球の歩き方」に米ドルで25ドルと書いてあったので、ともかくそこに泊まることにした。
 このゲストハウスはスーパーの裏側にあり、道が入り組んでいて人に聞いてやっと二階にある玄関に上がる階段を探すことができた。この建物は木造の3階建ての古い建物だったが、元英国領だけあって、おばさんが出てきて英語で交渉ができて、二階の部屋に入れてくれた。もちろんシャワーと天井の扇風機だけである。
 昼食は近くの中華を見つけて入ったが、ここでチョプスイとライスを注文して、ビールを飲みながらゆっくりと食べることにした。
 そもそもチョプスイを日本の中華のメニューにはないが、要するに肉野菜炒めである。しかし、この名称でも出てくるものはどんなものか食べるまでは見当が付かないのである。肉は大抵は豚肉であるが、野菜はタマネギであったりピーマンであったりで、ともかくその土地のなじみの野菜が炒め合わせででてくるが、ここのチョプスイはタマネギ入りで美味しかった。
 一休みして「地球の歩き方」に主な見所と書いてある、総督官邸とセントジョーンズカテドラルを見物することにした。
 ゲストハウスをでてスイング橋の手前を、ホーラバー川に添って河口の方に歩くと、海岸の近くに現在は迎賓館としても使用されている木造の総督官邸があったが、修理中で中には入れなかった。
 総督官邸の裏側に煉瓦造り4階建てのセントジョーンズカテドラルがあった。
 この教会はカテドラルと呼ばれていてもカトリックの教会ではなく、旧英国植民地であったことから日本では聖公会とよばれている英国国教会所属である。英国国教会は1534年,離婚問題をめぐって教皇と対立し英国王ヘンリー8世が、国王至上法によってみずから英国国教会の最高首長となり,ローマとの関係を断ち切った。エドワード6世の治世下で教義上はプロテスタント主義を受け入れながら、教会政治・礼拝面では中世教会との連続性を維持する教会の基礎を固めた。
 この教会には付属の学校があり、沢山の生徒が英国風の制服を着て勉強していたが、ここだけでなくベリーズ・シティ周辺にある学校は、皆教会に付属しているらしかった。
 教会を見物した後、インターネットを探したところ、郵便局でインターネットが出来ると教えられたので、こぢんまりとして瀟洒な中央郵便局に行った。そこで10ベリーズドルのカードを買って、それをコンピューターに差し込んで1時間使えるというシステムだった。ところが、日本語のフォントが入っていなくて苦労していると、日本人の青年が来て、こちらのマシンには日本語ソフトが入っていますと教えてくれた。どうも旅行者でなくこの町で働いている人らしかったが、ベリーズの話しを聞こうと思っていたところ、インターネットを終わったときには、彼は姿を消していたので残念だった。
 町をぶらついてからホテルに帰ってシャワーを浴びて洗濯を済ませ、薄暗くなった町にでて、昼とは別の中華を教えて貰い、夕食を中華風のポークカレーを食べて7時半には済ませて、近くのコンビニで買った地酒のコーラ割りを飲んで、早く眠りに就いて明日の国境越えに備えた。

 再び国境を越えてメキシコへ
 5月30日はベリーズ・シティから国境の町コロザルへ向かった。ゲストハウスからバスターミナルまでは5百メートルほどで、バスは1時間おきにでるが、ターミナルで待つ間にオレンジジュースとサンドイッチを買って朝食にした。国境までのバスは2時間で11ベリーズドルだった。途中の風景は南国的で、道路は広く古い漢字の看板が出ている工場やレストランが目立った。
 国境で出国税20ベリーズドルを支払ってメキシコに入ったが、メキシコはティファナの入国事務所でスタンプを貰ったツーリストカードを見せるだけですぐ入国できた。
 しかし、ベリーズは西麻布の大使館でビザに25米ドルをとられ、今度は20ベリーズドルだから、計35米ドルかかった事になる。ベリーズのような小さな国は、こうやって外国人からお金を取らなければ、出入国業務がやって行けないのだろうが、ビザと出国税の二重取りはひどいと思った。

 1時間20分でメキシコ・シティに帰り着く
 国境の町チェトゥマルは「地球の歩き方」に地図上だけはでていて飛行場のマークもあるが、何の情報も書かれてはいなかった。バスでメキシコ・シティまで行けば多分20時間はかかると思われた。そこでともかく飛行場までとタクシーをつかまえて、残ったベリーズドルで良いかと聞くと大丈夫だというので、タクシーで乗り付けると17ベリーズドルだった。
 飛行場は田舎の小さな飛行場で、12時45分発のアビアスカという航空会社のローカルの飛行機がもう飛び立とうとしていた。130.3ドルをカードで払って乗り込むと、私が最後の乗客だった。
 飛行機は小さいがサービスは良く、昼食が出てその前後に国内線だがビールとウイスキーをサービスしてくれた。
 約1時間20分飛んでメキシコ・シティのベニート.ファレス空港に到着した。ティファナから14日かかってアメリカ大陸を縦横断してベリーズ・シティまで到着したが、その3分の1余りの距離が飛行機で飛べば1時間20分であった。
空港から5号線のメトロの駅テルミナル・アエレア(空港ターミナル)は200メートルほど離れていて、そこから地下鉄に乗りイダルゴ駅まで行くのだが、またまた乗り間違えて、やっとホテル・サンフェルナンドに着いたが、メキシコ人のフロントマンにまたフルと言われてしまい、前回と同じホテル・マラガに泊まることにした。しかし、メキシコ人に、
「日本語の本が読みたい」と言うと、それは角のドアから入って読めば良いと言ってくれた。
 ホテル・マラガに荷物を置いて、ホテル・サンフェルナンドに行き、ガイドブックを眺めていると日本人の若者達がいて雑談が始まった。
 グアテマラでアンティグアのスペイン語学校に行きたいという娘さんが居て、アンティグアの様子を聞いたので、町が小さいことと道路が歩きにくい事を話して、長期滞在には向いていないと教えておいた。
 そうする内に日本人の従業員が来て、チェックインは済んだかと聞いたので、フロントでフルと言われたのでマラガに泊まっていると話すと、
「まだ部屋は有ったはずだ」と言っていたので、同じホテルでもフロントでチェックインするのはスペイン系の人達で、角の入り口から入ってチェックインするのが日本人らしいと想像した。なまじスペイン語でチェックインしようとしたため、フルと断られた様だった。

 ソカロで日本食と日本酒にありつく
 ホテル・サンフェルナンドをでて、夕食は久しぶりに日本食を食べようと、ソナ・ロッサにバスで出かけた。メキシコ・シティのソナ・ロッサはブティック、お土産物店などが並ぶショッピング街の中に、様々なレストランがある最大の繁華街である。
 外国の日本食はどこでも中華の倍ぐらい高いが、前に旅行した時、こことアテネのブラカ地区は日本より日本食が安かったので感激した。
 前に来たときに入った東京というレストランに入ったが、給仕のチーフの私より少し若いぐらいの日本人が、120ペソ(千五百円足らず)の定食が焼き鳥、天ぷら、刺身など色々の料理が入っていてお得ですと勧めてくれた。それを頼んでから最初サッポロビールを飲み、彼と話しが弾んだが、彼が脱サラをしてメキシコでこの店に入ったのは、私が前回来た時より、1〜2年後だと言うことが分かった。昔の物価の安かった事を話し、今でも安いことは安いが、メキシコの物価もずいぶん高くなったと言っていた。久しぶりに日本語で長話しをしたせいか、日本酒がすすみ4合も飲んでしまった。今では冷蔵技術が進んだので、メキシコでも旨い日本酒が飲めるのであった。すっかり出来上がって、タクシーを拾ってホテルに帰り着いた。 

テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
海外旅行北米、中米編5(2003年) 安岡襄のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
[ ]