海外旅行スロベニアからアイルランド2
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作成日時 : 2005/11/01 08:01
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スロベニアからベニス、ジュネーブまでの旅です。
写真はベニスのリアルト橋
ぶらり海外旅行アラカルト
(スロベニアからアイルランドまで2)
ブレッド湖畔の眺めの良い城
翌6月1日はオーストリアの国境に近いブレッド湖に行くことにした。
朝起きて散歩がてらリュブリアナ駅に行き、列車の時間を調べたが良い列車が無かったので、駅前のバスターミナルで聞いたところ、ブレッド湖までは1時間間隔でバスが出ているとのことであった。
ホテルをチェックアウトして荷物をバスターミナルの荷物預けに預けて、身軽になってブレッド湖行きのバスに乗り込んだ。
バスは北に向かって山間の道を進み2時間余りでブレッド湖に到着したが、この周りの山はアルプスに近いとはいえあまり高くはなかった。ブレッド湖は一言で言えば箱根の芦ノ湖の様なリゾート地の感じである。沢山のホテルやレストラン、土産物屋が並んでいた。
湖の畔に小高い丘がありこの地方はオーストリアハンガリー帝国の領土であったが、丘の上にこの地方を治めていた領主の城があった。タクシーに乗って城まで上がるとブレッド湖全体が眺められ、緑が青い湖面と美しく調和している湖全体の風景を楽しんだ。城からの帰りはタクシーと時間を打ち合わせて迎えに来てもらった。
湖畔に帰って昼食の店を探したところ湖、から少し離れたところに北京飯店というレストランを見つけた。ここでワンタンスープ、春巻き、焼きそば、チャーハンなどを食べたが、世界中何処でも進出する中国人がここにも来ていると感心したし、料理の味もまあまあであった。
昼食を終えて湖畔を少しぶらついてリュブリアナへ帰ろうとしたが、帰りのバス停がすぐに見つからず、何人かに聞いてたどり着いた所は来たときに降りた場所とは別の所で、そこがバスターミナルだった。
そして、来る時と同じ道路を通りリュブリアナのバスターミナルに帰ると、もう午後3時過ぎであった。それから途中のコストイナの鍾乳洞へ寄ると、今日の目的地アドリア海岸の温泉地ポルトロージュまでは行き着けそうもなかったので、鍾乳洞は割愛することにした。そして、スロベニアの隣の国であるクロアチアとの国境のセコビエまで行くバスに乗って、ポルトロージュへ行くことにした。
このバスは4時10分リュブリアナ発で高速道路を行かず、途中はいくつかの町に寄ってから、アドリア海岸にでて高速道路に入った。アドリア海岸にはコペル、イゾラ、ポルトロージュと3つの大きな港町があり、コペルは貨物専門の港であった。この3つの港を次々に寄るので、2時間40分掛ってやっとポルトロージュのバスターミナルに到着した。この間トイレ休憩は1回もなかったので、私はバスを降りるとすぐ、近くの店のトイレに飛び込まなければならなかった。
期待はずれだったポルトロージュの温泉
ポルトロージュは、海岸に沿って大きなホテルやレストラン土産物店が並ぶ、西欧風のリゾート地である。スロベニアは観光立国の国で至る所に温泉があり、また、行楽地には必ずカジノがあって、観光客を楽しませるようになっている。ポルトロージュでは、毎週末にはイタリアのベニスとの間を水中翼船が往来していて、イタリアからの観光客もトリエステでバスに乗り換える必要が無く直接ここにこられるようになっていた。しかし、今回の旅では移動が週末にかからなかったため、残念ながら水中翼船には乗れず、バスでトリエステへ帰らなければならなかった。
ポルトロージュのバスターミナルからタクシーを拾い、リュブリアナから電話で予約をしておいたホテルパラスという温泉付きのホテルに着いた。ここで最初入れられた部屋は海に面していて眺めは良かったが、バスタブが無く一流ホテルらしくないシャワー付の部屋であった。そこでフロントにバス付の部屋に変えてくれと言うと、スイートしかないと言うことであったが、吉田ご夫妻の了解を得てここは奮発して、ベッドルームとダイニングルームがあるスイートに泊まることにした。しかし、日本に帰ってからカードで支払った金額を確かめると1部屋で1万5千円ぐらいで、日本のビジネスホテル並の値段だった。外国でスイートに泊まるのはこれで2回目であるが、最初イスタンブールのホリディインに泊まったときは、日本では10万円ぐらいするだろうという部屋が、2万円余りで泊まれて感激したが、今回の部屋も日本なら5万円以下では泊まれないような素晴らしい部屋だった。
今回、スロベニアに来た目的の一つが温泉を楽しむことであり、海岸にある温泉ということで熱海ほどではないであろうが、ある程度立派な温泉施設を予想していた。そして、このホテルは温泉付なので、ともかくどんな温泉か偵察に行くことにした。温泉はホテルと同じ建物の中にあり、宿泊客はリゾート地の温泉の例で、自分の部屋から水着の上に何かを羽織っただけの簡単な格好で、温泉まで行ける仕組みになっていた。そして、宿泊客以外も道路に面した温泉の入り口から入ることができ、フリの客は温泉に入るには窓口で買った磁気カードをパリの地下鉄のように入り口に差し込んでバーを回して入る仕組みになっていた。宿泊客は温泉の入浴料はホテルで前払いして磁気カードを買い、チェックアウト時にそのお金は返してくれる様になっていた。
ヨーロッパの温泉は水着着用が原則なので、更衣室で水着に着替えて広い温泉に入ったところ、水は少しも暖かくなかった。ここは温泉と温水プールの区別もなく、入浴客は水着を着てプールのように普通に泳いでいた。今まで入ったハンガリーのブタペストの温泉もプール以外の場所は結構暖かかったし、アイスランドの温泉では日本の温泉と同じように40度以上の熱いお湯があったので、日本にいるときから暖かい温泉に入ってゆっくり体を休めたいと考えていた夢が破れて残念であった。
夕食は海鮮料理の美味しいところを教えてくれと、ホテルのフロントに頼んだところ、プラトーシドロという店を紹介してくれた。
このレストランはアドリア海の見下ろせる丘の上にあり、魚料理の盛り合わせも味が良く、サラダは自分でお皿に盛ってくるサラダバーになっていて、そのほかパスタやーエビなどのシーフードと地元の白ワインやビールも美味しく、次第に暮れゆくアドリア海の漁り火を眺めながら、吉田先輩ご夫妻との話が弾んだのであった。
翌6月2日は、吉田ご夫妻に後学のために温泉を眺めてもらうことにして、日本の温泉と違って単なる温水プールで有ることを分かってもらい、お二人は温泉をパスすることになった。ポルトロージュの海岸は中心地の繁華街が短くて、特に買うお土産もないので、そのままバスでトリエステに向かうこととした。ポルトロージュからトリエステまでは30分の近さであるが、さすが国境を越えるときは、このバスもパスポートコントロールがあり、スロベニアとイタリアの入管と税関が乗り込んできた。しかし何事もなくトリエステの町に入ることができた。
今回の旅行では、途中で妻がスコットランドに一人で行くため、集団で行動するユーレールセーバーパスを使わず、彼女だけはその都度切符を買うことにしていた。そこで、まずトリエステの駅で、トリエステからスイスのジュネーブまでの乗車券を買うことにした。そしてベニスからジュネーブまでを走っていて、アルプスのシンプロントンネルを通ることからその名前が付いている有名な国際列車、シンプロンエキスプレスの寝台券を4人分買おうとした。ところがこの列車の当日の寝台券は、トリエステでは買えないと断られてしまった。
トリエステからベニスまでは普通の列車で、私と吉田ご夫妻は日本で予め購入したユーレールセーバーパスを使い、妻はトリエステで買った乗車券で乗ることにした。このパスは乗車前に必ず駅員に最初の乗車駅のスタンプを押してもらい、通用期日を書き入れてもらう必要があるので、最初にトリエステの駅で、その記入を済ませなければならなかった。
トリエステからベニスまでの列車の旅は約2時間で、最初は海岸を走ったがやがて平野に入り、また海岸にでるとそこがベネチアメストレ駅であった。ベニスには二つの駅があり この駅でなくベネチア・サンタルチア駅がベニスの終点である。この二つの駅の間は干潟になっていて、列車は海の上を走るような感じでサンタルチア駅に着いた。
サンタルチア駅で降りた私達は、まず荷物預けで荷物を預けて、次にシンプロンエキスプレスの当日の寝台券を購入した。ヨーロッパのほとんどの主な列車のダイアがでているトーマスクックの時刻表では、2等の正式の寝台車が連結してあると記載してあったが、2等寝台と正確に告げたが何故か2等の簡易寝台(クッシェット)しか売ってくれなかった。
ベニスでシンプロンエキスプレスに乗り遅れる
十字軍以来中世の商業都市国家として発達した
ベネチアは、英語読みではベニスである。そしてこの町の全てが文化遺産であり、現在は観光で成り立っている町である。そして、中世ではベッリーニ、マンティーニャ、ティツィアーノなどのベネチア派の画家でも有名である。ベニスは私が約20年前、在外短期研修でパリに滞在していたとき、土日を利用して遊びに来たことがあるが、吉田ご夫妻は勿論のこと、妻も初めてであった。折角ベニスから出るシンプロンエキスプレスに乗るのに、この町が素通りではつまらないと、少し早めにベニスについて観光と夕食をしようと言うことになったのである。
私の前回の記憶では、ベニスでは全て物価が高くホテルもトイレとシャワーが兼用の安ホテルに結構高い料金で泊まったことと、その時中華料理店を見つけ水の都でも中華が食べられると感激して食べたことを覚えている。
今年3月、イタリアを卒業旅行で一人旅した息子の話では、ベニスは物価が高いので、近くのパドバという町のユースホステルに泊まり、ベニスの観光をしただけとのことであった。
世界に良く知られているように、この町はアドリア海の女王と呼ばれていて、アドリア海の干潟にできた町である。そして、島と島が橋で結ばれている町で、一台の自動車も走っておらず、交通機関は水上バスと呼ばれる渡し船と、タクシーと呼ばれるモーターボートと、それに有名な手漕ぎのゴンドラである。そして町の端にある有名なサン・マルコ広場までは町の中を蛇行して流れる大運河が通っていて、この広場までは普通は大運河を通のだが、反対方向からジューデッカ運河と呼ばれている広い運河を通っても行けるようになっている。
私達は駅前から水上バスに乗ったが、乗組員にサン・マルコ広場と確かめたところ、行くと言われたのでそのまま乗船した。しかし、船は行けども行けども大運河にはでず、相当長時間ジューデッカ運河の上を走り、ベニスと対岸のジューデッカ島やサンジョルジョ・マッジョーレ島とを行ったり来たりして、沢山の教会や名所旧跡を訪れながら、やがてサン・マルコ広場に着いてしまった。ここで降りては有名なリアルト橋も見られないので、多分この船はもう一度駅前に帰りそれから大運河を通ってこの広場に戻るだろうと、そのまま船に留まることにした。私達の思惑通り船は駅前から大運河に入り、リアルト橋もくぐって再びサン・マルコ広場に到着した。その間約2時間でじっくりとベニスの町並みを眺めることができた。
リアルト橋は大運河にまたがる最大の橋で、長さ48メートル幅22メートルの大理石製の橋であり、外から見ると山形をしていて、ベニスといえばテレビやポスターに必ず登場する観光名所である。また、サン・マルコ広場は世界で一番美しい広場と呼ばれている。このあたりにはサン・マルコ宮殿を初めとして、新旧のベニスの政庁やドゥカーレ宮殿等有名な建物が密集しているが、時間がないので、今回は全て外から眺めるだけで終わってしまった。私達は、そこから徒歩で駅に向かい、途中で食事をすることにした。少し時間が早かったせいか、サン・マルコ広場に面したレストランでは食事はまだできないと言うことであった。そこで駅へ行く道を、
「ドベ・スタチィオーネ(駅は何処ですか)。」と尋ねながらしばらく歩いていくと、小さな運河沿いのレストランが店を開けたばかりで、まだ誰もお客が居なかったが、食事ができそうであった。
そのレストランはイタリア料理で味は特に不味くもなく美味しくもなかったが、値段は高級料理店並であった。しかし、ワインやビールは美味しく、軒先を通るゴンドラの影が水に映り、ロマンティックなベニスの気分を味わうことができた。
ゆっくりと食事を楽しんで外に出ると、もう列車の出発時間まで30分余りしかなかった。
ここでは自分の脚で歩く以外は駅へ行く手段はない。駅への道を聞きながら4人は駆け足で駅に向かったが、荷物を貰ってホームに入ったときは、時間が40分もかかっていて、既にシンプロンエキスプレスは出発していた。
乗り遅れた列車が運良く次の駅でつかまる
ともかくジュネーブまでは行けなくても、明日の朝までにミラノ中央駅ぐらいまでは行けるだろうと思って、
「次の列車はいつでますか。」と駅員に聞くと、
「もうすぐ出るが、次のベネチアメストレで、もしかするとシンプロンエキスプレスに間に合うかもしれない。」と言ってくれた。
そこで、次の列車でベネチアメストレまで行くと、乗り損ねたシンプロンエキスプレスがホームに停まっているではないか。喜んだ私達はすぐ予約していた寝台車に乗り込んだ。
寝台は2段式で敷布と毛布が置いてあって、各人が自分でベッドメイクをして、寝ることになっていた。この列車はイタリアとスイスの国境を越えるので、車掌にパスポートと切符を渡して眠ることになった。
EU成立以前には国境を越えるときは、必ずパスポートコントロールがあり、入管や税関の職員が列車に乗り込んできて、もしコンパートメントの錠を閉めている場合などは、そとから錠を明けて、
「パスポートコントロール。」と怒鳴って乗客を起こしたのであるが、寝台車の場合にはパスポートと切符を車掌に預けておくと眠ってる間に国境が通過できるのであった。
そして、EU(ヨーロッパ共同体)が成立して以来、EU内の移動ではパスポートコントロールは廃止されているが、永世中立国であるスイスは共同体に加わっていないため、EUからスイスへの旅行では、以前夜汽車でヨーロッパ内の国境を越えるときにはパスポートコントロールが残っていて、車掌にパスポートと乗車券を預けるのであった。
翌朝目を覚ますと吉田先輩はもう起きていて、列車の窓の外を眺めていた。そこには湖が広がっていてレマン湖であった。曇っていてアルプスは見えなかったが、私が初めてレマン湖越しにアルプスを見たときの感動を先輩に話している内に、列車はローザンヌに着いた。スイスはドイツ語、フランス語、イタリア語そしてスイス特有のロマンシュ語が使われていて、ここはもうフランス語圏である。ローザンヌの町は市内の中心部だけは地下鉄になっている電車が走っていて、その終点がウシという港になっていた。ウシは日本語の牛と連想して覚えやすい名前である。そのウシからユーレイルパスだと只で乗れる連絡船がでていて、レマン湖の対岸の、ミネラルウオーターで有名なフランスのエビアンまで行ったことを先輩に話した。しかし、船で行ってもエビアンの港でパスポートコントロールがあり、街に入ると町中に井戸があり、蛇口から水が出ていて、日本では小さいペットボトルが百円以上するエビアン水がいくらでも飲めるという事や、また、友人と二人で初めてスイスを旅行したとき、列車でチューリッヒからジュネーブへ向かったのだが、そのころは私はドイツ語が全く話せなかったので、フランス語圏の最初の町フリーブール(南ドイツのフライブルグとは全く別の町)までたどり着き、そこに泊まったことを思い出してお話しした。
フリーブールはヨーロッパに長く住んでいた犬養道子さんがフリーブール日記に書いているように落ち着いた町で、この町の郊外でフランス語圏が終わりドイツ語圏に入るのである。この町で1泊してレストランに入り、スイスの代表的な酒が飲みたいとギャルソンに言ったところ、焼酎の様なキルシュという酒を勧められたことや、この町では日本人が珍しかったらしく、周りの人からじろじろ見られたことを思い出した。レマン湖の景色を見ながら話をしている内に列車はやがて終着駅ジュネーブに到着した。
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