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<<   作成日時 : 2005/11/02 08:58   >>

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画像
シャモニーからマッターホルンへアルプスの旅です。

写真はマッターホルン

 ぶらり海外旅行アラカルト
(スロベニアからアイルランドまで3)

モンブランの登山口シャモニーへ
 6月3日早朝6時40分、シンプロンエキスプレスでジュネーブに到着した私達は、アルプス・モンブラン登山の基地の町シャモニーまで行くため、ガイドブックに日本語のガイドのいるバスが停まると書いてある駅近くのバスターミナルに向かった。
 ジュネーブはレマン湖の西に位置して、旧国際連盟本部・パレ・デ・ナシオン(現在の国際連合欧州本部)を初めILO(国際労働機関)WHO(世界保健機関)国際赤十字委員会等の諸機関がある国際都市である。そして別の意味であるが、ジュネーブ駅も国際駅である。国際駅とは一つの駅の中にスイス駅とフランス駅があり、本当の国境はジュネーブ郊外にあるのだが、スイス駅とフランス駅の間は国境になっていて、そこでパスポートコントロールを済ませてフランスの列車に乗り込むのである。他でもスイスとドイツの国境のバーゼルが国際駅である。しかし、スイスもやがてはEUに加盟するのだろうから、この国際駅もいつかは普通の駅になってしまうのだろう。
 今回は、ジュネーブの見物は割愛してすぐシャモニーに行くためバスターミナルへ直行したが、日本語バスの発車時刻8時30分までは2時間近くもあるため、近くのカフェに入りクロワッサンと紅茶やコーヒーで軽い朝食を取ることにした。
定刻少し前になると日本人が集まり始めたが、そこに日本語ぺらぺらのスイス人ガイドがきて、
「このバスは路線バスと観光バスが同じバスになっていて、シャモニーまで行きます。シャモニーに着いたら路線バスのお客は自由行動、観光バスのお客はすぐエギュードミディに登り、そこでモンブラン見物を済ませた後、シャモニーに下って昼食をとり、街の見物をしてからジュネーブへ帰ります。」と説明をした。
 私達はモンブランの後はマッターホルンの麓の町ツェルマットに行くため、エギュードミディからシャモニーに降りるところまで、観光バスの人たちと同行することにして、一人50スイスフランでエギュードミディのロープウエイの搭乗券をバスの車内で購入した。
 ジュネーブからシャモニーまでは83キロ、約1時間余りであった。スイス人のガイドは巧みな日本語で途中のルート説明や自分の事を話したが、
「私はフランス人とスイス人の混血で、日本に留学をしていたので日本語のガイドになり、今は物価の安いフランスに住んでいて、ジュネーブに勤めています。フランスに住んでジュネーブに勤めている人がジュネーブで働いている人の4割りも居ます。」と言っていた。そして、日本語と英語で書いた名刺をくれ、それにはハイキングガイド、スキーガイド、スキーインストラクター、クリストフ・ゴンセと書いてあった。
「運が良ければ途中スイスとフランスの国境でパスポートコントロールがないが、悪ければ有るかもしれない。」と言っていたが、パスポートコントロールには運良くぶつからなかった。
 バスはロープウエイの駅のすぐ近くに着き、しばらく待ってロープウエイに乗り込んだ。上まで上がる時間は約20分で、ロープウエイとエレベータを乗り継いで3842メートルの頂上まで登り、そこから4807メートルのモンブランやグランドジョラス4208メートルを初めとする白雪で覆われたアルプスの高峰を眺めた。
 20数年前友人と二人でここに登って、私は高山病でふらふらになった経験があるので、K副長に貰った酸素ボンベを高山病にかかった時の用意に持ってきたのだが、成田でスーツケースのレントゲン検査で、飛行機の中に酸素ボンベは持ち込めないと、放棄させられてしまった。だが案の定、エギュードミディでは高山病にかかってしまった。
 そして、4人の中で一番お年寄りの吉田先輩が、高いところで一番元気であった。
 アルプスの山々を高山病でふらふらしながらサングラス越しに山々を眺めてしばらく頑張ったが、苦しいので下山することにした。高山病は空気圧が正常にもどれば治ってしまうものである。
 下山して停まっていたバスから荷物を出してもらい、観光バスの人たちはスイス料理を食べに行くのだが、私達は近くに中華料理店を見つけてそこで食べることにした。
 久しぶりの中華料理に満腹して、シャモニーの街を歩いて、今夜の宿を探すことにした。
 シャモニーはフランスの町であるがアルプスの登山口であるため、どのスイスのガイドブックにも名前が出ている町である。
 ここには山岳博物館があり、1786年モンブラン初登頂をはたしたバルマの記録を始め登山の歴史を示す多くの資料が展示されているが、博物館は前回見物したので割愛することにした。
 ここでは前回来たときには10数軒探して、やっと三ツ星のホテルを探し出した記憶がある。ホテルを探し出した後、友人が町を散歩していると、
街で中年の男性から、
「日本人の方ですか。どこかにホテルが無いですか。」と話しかけられ、
「町の中を何軒も探し回ったが、私はドイツ語が専門だがフランス語は分からないし、何処へ行ってもコンプレ(満員)と言われてしまう。」とこぼされてしまった。そこで、我々のホテルに連れてきたところ、そこのレストランで働いていた日本人に、
「何かお困りですか。」と聞かれ、事情を説明すると、
「このハイシーズンに何処を探しても有りませんよ、あなた方でここも満員になりましたと、ホテルマンが言っています。」と説明され、高知の大学の先生というその人に、我々の部屋にエキストラベッドを入れて泊めてあげた思い出があった。
今回もまだ6月ではあるがホテルはすぐ見つからず、数軒歩いてやっと3つ星のエグロンというホテルに空室を見つけた。このホテルはどの部屋からもモンブランがよく見え、またロビーからの眺めも素晴らしく、吉田先輩は、
「今回の旅行ではシャモニーのホテルからの眺めが一番良かったな。」と述べられていた。
 ホテルでゆっくりと休んで、それぞれ近くを散歩したりしてから、夕食をどうするかという話になった。
 妻はヨーロッパを何回旅行しても本当のフランス料理を食べたことが無いといつも言っているので、ここフランスの町でそれを食べようと言うことになった。そこでフロントの女性に、
「この町で美味しいフランス料理を食べさせる店はどこですか。」と聞くと、
「ル・アモー・アルベールプルミエというミシュランの二つ星のホテル・レストランがある。」という答えで、その店に予約を入れて貰った。
 ミシュランは、日本でも売られているフランスのタイヤの会社である。
 そして車で旅行する人たちのため、ヨーロッパ各国のガイドブックを出している。このガイドブックには2種類有り、ドライバーのための町の地図や観光案内の乗っている緑のガイドブックがミシュランブリューと呼ばれている。このガイドブックは観光地を星で分類していて、3つ星は絶対見逃せない観光地、2つ星はできたら行った方がよい観光地、1つ星は時間が有れば行く観光地となっている。
 一方、ホテル・レストランの赤いガイドブックはミシュランルージュと呼ばれ、ホテルは建物のマークの数でその格を表している。
 何処の国でも観光担当部局がホテルの格付けをしているが、それとミシュランの格付けは異なり、ミシュランの調査員自身が宿泊をしてそのホテルの設備とかサービスとかを様々な面から調査して、その結果の格付けを建物の数で表示している。国の格付けでは3つ星の所でも建物のマークが2つしかないところもいくつもある。そしてミシュランでは、お客に勧めることのできるホテルしかガイドブックに載せていないので、ここに載っているホテルならば相応の設備やサービスが期待できるのである。
 ホテルに関しては、私はほとんど列車か飛行機で移動するので、車で移動する人のための駅や繁華街からの距離をあまり考えていないミシュランブルーは、それほど重視していない。むしろ日本人という立場で見れば国の格付けの星の数も参考になり、バスルーム付きの部屋の期待でき、また、どこの国でも英語の話せるフロントマンがいるのが3つ星以上である。
 一方、食事に関してはミシュランルージュは店の格はナイフとフォークを組み合わせたマークの数で示し、味は星印で示している。
 ミシュランでは店に知られないようにして調査員がその店で食べて、味の良さで星の数を決めるのである。
 有名な話では、銀座にも出店のあるマキシムが、ミシュランルージュで4つ星から3つ星に格下げされた時、店の権威にかかわるとして店の名前をミシュランからはずして貰ったということがある。
 パリとかローマは別にして、ミシュランの星の付いた店は少ないし、地方都市ではたとえ一つ星でもあれば絶対行った方がよい。そして、このクラスの店は必ず予約が必要である。
 このレストランはシャモニーのフランス国鉄駅の近く、山小屋風の作りの四つ星ホテルの中にあり、フロントで名前を言うとまず応接間に通されて食前酒は何にするかと聞かれた。
 フランス人のお酒の飲み方は、食前酒はカンパリとかコアントローと言った様な甘い酒か各種のカクテル、それにハイボール(ウイスキーソーダ)などである。そして食事中は料理に応じたワイン、食後はウイスキーやブランデーで仕上げをする。これは家庭に呼ばれたときも同じである。
 そこで、吉田ご夫妻はアルコールがだめなのでノンアルコールのものを、我々夫婦はカンパリを注文して、ゆっくりだされたメニューを見ながら料理をオーダーした。
食卓の準備が調うと食堂に案内されて、注文した料理が次々と出てくるが、料理には皿に丸い金属製の蓋が被さっていて、ウエイターが目の前でこの蓋をとってくれる。これは料理が冷めないようにする意味もあるのだが、それよりも蓋をとったときに料理の色合いや配置を見せてお客に目で楽しませようとするものである。
 前菜にアスパラガスや名前の良く分からない西洋野菜のサラダを、メインディシュはご婦人方が伊勢エビとさけの料理を、そして私と吉田先輩はシャロレー風(フランスの地方の名前)牛肉の料理を注文したが、吉田先輩曰く、
「松坂肉の料理の方がうまいや。」であった。
 ワインはビンデージが分からないので、ソムリエにお任せして赤を頼み、最後のデザートは私以外はケーキ、私はチーズを注文して食事を終えた。久しぶりに食べる本格的フランス料理に満足して帰路に就いた。

 天候に恵まれたマッターホルン
 翌6月4日はマッターホルンを見にツェルマットに移動することにした。
 今回の旅行でアルプスの有名な山を見ようということにしたが、モンブラン、ユングフラウヨッホ、マッターホルンの内、ヨーロッパ旅行が初めての吉田先輩を除くと、吉田夫人と妻もユングフラウヨッホは見ているので、二人が見ていないモンブランと、吉田夫人が見てなくて私達夫婦ももう一度見たいと思っていたマッターホルンに目標をしぼることにした。
 シャモニーを朝出て途中まではフランス国鉄、途中からスイス国鉄に乗り換えた。途中のアルプスの山々の山肌は雪に覆われ私達に覆い被さる様であるし線路の周りは新緑の森で、アルプスならではの光景を満喫しながら列車は進んだが、心配だったのは山の天気で、山頂に雲がかかっている山が多く、はたしてマッターホルンの全貌が見られるかが心配だった。
 途中ビスプからユーレイルパスの効かない登山電車に乗り換えると、その料金が一人38スイスフランと思ったより高く、手持ちのフランスフラン、イタリアリラそれにスイスフランの小銭を総動員してやっと払うことができた。私達はシティバンクのカードをもっているからいつでもお金が引き出せると考えたが、緊急用にいくらかはドイツマルクかスイスフラン、フランスフランを持つことが必要だと感じた。しかし、これも2年後にはユーロ通貨さえ持っていれば良くなるのであろう。
 ツェルマットに着くと幸い天候は快晴で、マッターホルンの素晴らしい姿が目の前にそびえていた。
 スイスとイタリアの国境にそびえるマッターホルンは高さ4478メートルで、南西稜38度、北壁56度という傾斜を持った山である。誰でもこの山の姿は写真をみて熟知しているが、天空に向かって突き刺すような姿は魔の山として恐れられていた。
 私達は標高1620メートルのからツェルマットから、マッターホルンに一番近いゴルナーグラートまで登山電車で行くことにした。電車は時速2,30キロのゆっくりとした速度で進み、森林限界を越えて白銀の世界の高さ3100メートルのゴルナーグラートへ到着した。ここからは高さ4634メートルのモンテローザも見ることができた。
 ここで代わる代わるマッターホルンを背景に写真をとり、再び登山電車に乗ってツェルマットに帰り着いた。ツェルマットで見るマッターホルンは高さの感じがハッキリと出ていて、ゴルナーグラートで見るものよりも私には素晴らしいと思えた。
 ツェルマットに泊まるかどうか皆で相談したところ、マッターホルンを見れば目的を達したのだから、そこで今晩の泊まりをベルンと決めて先を急ごうという事になった。
 再びツェルマットからビスプを通りブリークでスイス国鉄に乗り換え、ユングフラウヨッホの麓の町インターラーケンを通ってベルンに出たが、ユングフラウヨッホも登山で有名なアイガー北壁も車中からは見ることができなかった。

懐かしい町首都ベルン
ベルンに着いたのはもう夕刻で、電話でホテルを探して駅前のシティホテルというホテルに予約が取れた。
 ベルンの駅にはエスカレーターにそのまま乗れる空港のカートと同じカートが置いてあったので、それに皆の荷物を積んでホテルまで運ぶことにした。ところがホテルの前のエスカレーターの上がり口で、カートの端がエスカレーターの横にひっかかり、出るに出られずエスカレーターはどんどん動くので後ろの人が詰まってしまった。皆で大騒ぎをしていると、外にいた人がカートのひっかかっているところを持ち上げて外してくれ、やっと危機を脱することができたが、そのままでは大けがをするところだった。カートをホテルの入り口に置いてチェックインをしてからカートを駅に返そうと行ってみると、もう誰か駅に行く人が持っていってしまってカートは無くなっていた。
 ベルンはスイスの首都であるが観光にはあまりなじまない町である。しかし、私にとってはヨーロッパでの研修中に、日本から来ている国際農友会の青年達と、ここのホテルで一晩を過ごして語り合った懐かしい町である。
日本から1年間スイス、ドイツやデンマークの農家に実習生として送り込まれた青年達は、半年間日本語を全く話さなかったので、最初は日本語が口から出てこないのであった。
 私達は、ホテルで一休みしてそれから、1191年に建てられ15世紀に火災にあって再建されたというベルン名物の時計塔を見に行った。
 時計は1時間ごとにからくりが動くのだが、定時には少し早かったがだんだん人が集まってきて、4分前に鶏がでてきてときの声をあげ、それから熊や道化師や騎士やライオンなどが鐘を鳴らしたり大きな鐘が鳴ったりするのである。
 からくり時計は多摩そごうのコンピュータ仕掛けの時計の方が楽しいが、これが12世紀に造られたというのには感心した。
夕食は町の広場を見下ろすカフェレストランで、広場のにぎわいを見ながらスイス料理を味わったが、日暮れの遅いヨーロッパでは何時までも広場の賑わいが続いていた。

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スイス マッターホルン
スイスマッターホルン行って来ました!! もう最高ーーー!! ...続きを見る
イギリスボランティア留学
2005/11/05 17:43

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