安岡襄のブログ

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help RSS 海外旅行エーゲ海文明編1(1996年)

<<   作成日時 : 2005/11/19 09:34   >>

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アテネの旅です。

写真はパルテノン宮殿

ぶらり海外旅行アラカルト(エーゲ海文明編1)

エーゲ海文明を訪ねてギリシャ、トルコへ

 1963年の暮れから翌年にかけての正月休暇を利用した旅は最初暖かい中南米を考えていたのだが、日数が足りずトルコの旅を考えた。今回も息子は大学受験なので家に残して、妻と娘との3人旅であった。
 妻と娘はギリシャに行ったことがなかったので、旅はギリシャから始めてトルコに入ることとし、エーゲ海のギリシャのどこかの島からトルコの大陸に渡ろうと思った。
 そこで、トルコとギリシャの大使館の観光局に行ったのだが、ギリシャの島からトルコに航る船便は夏には毎日の様にあるが、冬場はいつでるのか分からなかった。何しろ地図でみればエーゲ海の島々の多くはトルコの大陸のすぐ近くにあるのであった。丁度金門、馬祖という台湾領の島が、中国大陸にくっついているのと同じであった。「地球の歩き方」トルコ編によれば、冬場も船はでているとのことであったので、ともかく定期便のある、ギリシャのロードス島に行き、そこからトルコのマルマリスという港町に渡ることにした。
 現在工事中の亀清の隣のお茶屋のビルの四階にあるワールド・リーダーに格安航空券を頼んだところ、KLMオランダ航空の便がとれ、行きはアテネから始めて帰りはイスタンブールという予約ができた。出発を12月23日の休日として、その夜と翌日をアテネで泊まり、25日の日にロードス島までオリンピア航空で飛ぶことにした。
 当日は新宿からリムジンで成田第二ターミナルに出発の3時間半以上前に着いた。空港は正月休みを海外で過ごす人で混雑しはじめていた。同じ日ロンドンに行くK調査官が12時の出発だったのでうまくすれば空港で会えるかなといっていたのだが、さがしだすのは難しかった。
 飛行機は12時30分発のKLM862便であった。妻は最初の海外旅行がKLMであったのでKLMは良いといつもいっていたが、機内食も外の航空会社に比べて素晴らしいということもなく、日本人スチュワーデスが勤務しているのも同じであり、それに大柄のオランダ人のスチュワーデスは決して美人とはいえず、日航、全日空それに英国航空やフランス航空に比べて特にサービスが良いとも感じなかった。
 だが、アムステルダムに着く前の軽食サービスでおにぎりとカップラーメンが配られたときには、いつもカップラーメンを持参して外国の飛行機のなかでスチュワーデスにボイルドウオーターを頼んでいた私としては得意技を取られたような気がした。
飛行機は16時45分にオランダスキポール空港に着陸したが、ここでの待ち時間は2時間半であった。この空港は免税店の規模が大きいことで有名である。空港ロビーのまん中にある郵便局で切手を買い飛行機の中で一生懸命書いていた年賀葉書に貼って投函した。
 アムステルダムからアテネまでは3時間半の飛行である。飛行機に乗り込む前に新聞のサービスがあり、衛星通信で日本から送られてヨーロッパで印刷された日経がおいてあったのには驚いた。CNNニュースがどこの国のテレビでも見られるようになり、ヨーロッパの大都会では昼になれば日本の新聞が読めるのであるから、海外旅行をしていて、日本の様子が分からないという時代は終ったのである。パリで印刷されている英語版ヘラルドトリビューンで日本のニュースを探していたのがつい4〜5年前であったのが不思議な思い出ある。これでコンコルドの新型機が飛ぶようになれば数時間で成田からヨーロッパに行けるようになるのだろうと思った。

 アテネ到着

 アテネ空港へ着いたのは夜中の11時45分であった。最初の日のホテルは日本からファックスでノボテルというホテルに予約を入れておいた。このホテルはチェーンになっていて、ウインでも泊まったことのあるミドルクラスのこぎれいなホテルでオモニア広場の先にあった。
前回ギリシャにきた時はアテネだけに泊まって、次にブルガリア航空で東ベルリンに飛んだので、ロードス島騎士団有名なロードス島にアテネから飛行機で飛ぶので、次の機会は少しゆっくりとペロポネソス半島を見たいと思っていたが、それをしていてはトルコに渡る時間が無くなってしまうので、今回もアテネだけで1日半の時間しか取れなかった。
翌日は先ずアクロポリスの丘にあるパルテノンにのぼることにした。ホテルの近くで車を拾ってギリシャのアテネの中心地シンタグマ広場を通ってアクロポリスの丘の下で車を降りて入場券を買ってパルテノンに上った。今から2500年も前に建てられたパルテノンであるが、やはりギリシャやトルコ、イタリアのシシリー島などにあるパルテノンのオリジナルであり、また、全ての西洋式建築物のオリジナルでもある。私の住む多摩ニュータンにさえパルテノン多摩と名付けなれた建築物があるのである。
 丘をのぼっていくとドリス式、イオニア式の柱に支えられた建物が見えてきた。一番乗りのせいか観光客はぼつぼつとしか見えなかった。神殿を回って南側の崖の下にはディオニソス劇場とイロディス・アティコスの音楽堂がいずれも半円形ですり鉢型の円形劇場でつくられていた。
 パルテノンを終って次に昼食と買物のためブラカ地区にでかけた。ここは小さな土産物店や食堂が軒を並べていて観光客が集まってくるところである。
 ここではなぜか天然のスポンジが安くお土産でうられていて、その他陶器や絵はがき、アクセサリーなどがあり、ここではギリシャ特有の絵や字が刻まれた銀細工を10個ほと買い込むことにした。
 昼食は<美智子>という日本人の女性の経営している食堂で食べたが、海外の日本食堂はどこでも日本の何倍もぼるのだが、ここはメキシコシティの日本食堂とならんで日本以下の値段で日本食が味わえる数少ない店である。日本をでたのは昨日だがここで食べておかないとしばらく日本食が食べられないというので、和定食やかつ丼を注文して日本の味をあじわった。
 食事をしていると店の女主人である美智子さんと、
「いつ日本から着いたのですか。」という様な話になり、
「今夜はクリスマスイブなのでレストランは満員でしょうね。」と聞くと、
「今お客に日本人の旅行社の人がきているからきてあげます。」と話が発展して、その人の世話で同じブラカにあるレストランシアターの<ニュー・リガ>という店のディナーの予約ができることになった。
 食事を終ってアテネ国立考古学博物館へでかけたが、残念なことに午後3時で閉館となっていて、目の前で扉の占められるのを見る結果となってしまった。ここを見れば先史時代から、ヘレニズム、ローマ時代にかけてのギリシャ文化の全てがわかるという膨大な陳列品があるというのに、25日も休館とあって前回は時間足らずで行けず、今回もとうとう見ることができなかったので、アテネにはもう一度こなければと心に決めた次第だった。
 アテネの中心部は1834年に憲法が発布されたシンタグマ広場とオモニア広場で、シンタグマ広場は広場の中央に噴水があり、周囲に航空機会社や旅行会社の近代的なビルが多く、一方、オモニア広場は庶民的な所で、安いホテル、タベルナと呼ばれる小飲食店、カフェそれに雑貨や衣類を売る露店が集まっていた。 帰り道はこの二つの広場を通って、ノボテルにかえってひと風呂浴びて夜8時から開かれるディナーショウにでかけることにした。

レストランシアターでギリシャの歌と踊り

 レストランシアター<ニュー・リガ>は優に二百人は入れるという大きなもので我々のような個人客は二階に押し込まれ下の広い席は団体客が入るのであった。最近の台湾、香港、シンガポールの経済成長を反映して中国系の大勢の団体客がいたのが目についた。
 料理は野菜と魚のギリシャ料理、飲物はギリシャの焼酎ウーゾがでてワインは注文という形で値段は一人1万6千ドラクマ(1円が2ドラクマ)という安さだった。
 ショウの内容は伝統音楽の歌ブズキと踊りが中心であり、歌は歌詞を延々と歌い上げる男女の独唱と合唱の形式で、踊りは民族衣装を着た男女が円形になって手を組んでおどる踊りだった。この踊りの形態は地中海に広く分布しているようである。前回観光バスできた店では陶器の皿を床に投げて割りその上でおどる踊りもあったが今回はそれはみられなかった。
ショウを十分楽しんでボーイにタクシーを拾ってもらってホテルに帰ったのは12時を過ぎていた。

アテネで一番高いリカビトスの丘へ

 次の25日はクリスマス当日であった。妻が古代の政治、宗教、文化の中心であったアゴラをみようということででかけたが、古代アゴラは祝日で入れなかった。そこで、ローマ時代のアゴラがアクロポリスの下にあるので、そこにむかったが、ここは瓦磔や石柱が散乱していて古代の遺跡があったことが偲ばれるだけだった。次にアクロポリスだけではなくアテネ全体が見渡せるアテネで一番高いリカビトスの丘に上ろうということになった。それで、アクロポリスの丘の下にとまっているタクシーを拾ったが、これが悪徳タクシーで、走りながら英語で
「今日は祭日で丘に上るケーブルはいつもの10倍の7千ドラクマもするのでタクシーで丘まで登る方が安いので7千ドラクマで丘に上がって降りてくるのでタクシーで行かないか。」と話しかけてきた。 私は、
「どうせ言っていることは嘘だろうが、車で行けるのならこのままのっていこう。」というと、妻と娘は、
「そういう事をしていると後に来る日本人がぼられて困るのでここで降りましょう。」と主張するのでタクシーを途中で止めて降りることにした。途中で車を止められ儲け損ねた運転手は歯をむいてくやしがっていた。
ところが、次のタクシーがなかなか見つからないので丘の下のケーブルの駅まで歩くことにした。町の中はほとんどの店がクリスマスで閉まっていたが、途中レストランが一軒開いていたので昼食をとることにして、クリスマス料理の七面鳥をたのんだが、油で揚げた料理でパサパサとして期待したほど美味しくなかったが、だされたワインはまあまあだった。
 ケーブルの駅は丘の途中の住宅地のまん中にあった。その回りにだけは数軒の土産物屋があって陶器や絵画などを売っていた。その駅から丘の上までの料金は運転手の言うことが嘘でガイドブックどおり片道350ドラクマであった。丘にのぼると白い家々の広がるアテネの町が一望に見渡せた。
 丘を降りてからの次の目的地だが、娘は石灰でぬられたギリシャ風の白い町並みが観たいということで、アテネで唯一の地下鉄に乗り隣の港町ピレウスに行くことにした。
 オモニア広場まで車で帰りそこから地下鉄に乗ったが、地下鉄は途中から地上を走り30分ほどで終点ピレウスについた。
 ピレウスは南部イタリアのブリンディジやバリからの連絡船が着くところで、また、エーゲ海巡りのクルーズの出発地でもある。駅から港はすぐそばであったが、近くの島に行く観光船のオフイスはクリスマスで全て閉まっていた。そこでピレウスのタクシーを拾って海岸を回ってもらったが港町は近代化されていて、また、海岸には魚料理のレストランが並んでいたが、運転手の話ではレストランは皆ものすごく高いという話だった。結局海岸を回ってピレウスの駅まで戻ってもらったが、娘の見たいと考えていた、古いギリシャ風の町並みはどこにもなかった。
 
とっても不便なエリニコン空港

 ピレウスから一度ホテルに帰って荷物をもって、目的地ロードス島に向かうためタクシーでエリニコン空港西ターミナルに向かった。空港は事実上2つに分かれていて、東ターミナルが各国の国際線、西ターミナルがギリシャのオリンピック航空の国際線、国内線の両方である。
 空港に着いたのは4時少し前で6時の出発まで時間があるので、私が一人で東ターミナルへ行ってKLMのオフイスで帰りの便のリコンファームをすることにした。西から東のターミナルまでは連絡手段はタクシーだけである。そして、東ターミナルについたところKLMの受付には誰もおらずリコンファームはできなかった。ところが帰りのタクシーを拾おうとしたがタクシーは一台も現れなかった。空港の人に、
「東から西のターミナルまで何キロありますか。」ときくと、約7キロということで歩いて行っては飛行機に間に合わないことが分かった。そうするうちに、やっと一台のタクシーがきて、私の後ろで車を待っていたアメリカ人と私に、
「相乗りで二人のせる。」というので、私は後ろにアメリカ人は前にのりこんだ。彼は空港の近くのホテルに着けてくれといっていたので、5分ほど走って降りたが3千ドラクマ払ったみたいだった。それから空港の滑走路を回り込んで東ターミナルにきて運転手が、
「5千ドラクマだ。」というので、
「さっき東から西にきたときはメーターで千ドラクマだぞ。」といってもめたが車も少し大きかったので2千ドラクマを押し付けて強引に降りてしまった。
 ようやく西ターミナルに着いて、しばらくして時間がきて乗り込んだのは小型のプロペラ式のターボジェット機で夕暮れのエーゲ海をトルコ沿岸のロードス島に向かって飛び立った。

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