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<<   作成日時 : 2005/12/30 08:27   >>

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ブルガリア、ソフィアの旅です。画像
写真はソフィアの公園

ぶらり海外旅行ア・ラ・カルト 東欧編5

ブルガリアの首都ソフィア
 ブルガリアは人口880万人で東ヨーロッパではアルバニアに次ぐ小国である。この国は1393年からトルコの支配下に入り,1877年から78年にかけての露土戦争でロシアの軍隊によって解放されたという歴史を持っている。この解放者がロシアのアレクサンドル2世で,首都ソフィアの中心にある国会議事堂前の広場には,アレクサンドル2世
の偉業をたたえる騎馬像が建っている。また,この国はナチスの国会放火事件で犯人にでっちあげられたが,ドイツの法廷で弁護人もなく一入で戦ってついに釈放をかちとって有名になったデミトロフが国父とあがめられている国である。彼はその後国際反ファシズム統一戦線の指導者となり,第二次世界大戦ではブルガリアの祖国戦線を組織して,ソ連と協力してブルガリアを解放した。ブルガリアは2度にわたってロシア・ソ連によって解放されたという歴史を持っている。それ故に東ヨーロッパの各国がハンガリー事件とかチェコ侵入とかポーランドにおける連帯弾圧とか、ソ連に対していずれもぎくしゃくした過去をもっているのに対し,東欧でブルガリアのみは反ソ連感情の無い国で,ソ連の優等生といわれている。実際ソ連もこの国の経済建設には力をいれていて,また,人口880万人という小国であるので,ソ連の経済援助もやりやすく,その結果経済的にも安定している国である。
 今までのオーストリアからルーマニアまでは意味が判らないとはいえローマ字で書かれている国で,なんとなく読めば通じるような気もしたが,ブルガリアはキリル文字の世界である。Hがローマ字のPとかCがSとかPがRとかどうにか感じは判るのだが,心細いことおびただしい。 ブルガリアではタクシーに乗るときは行き先をキリル文字で書いてみせて連れていってもらうようにした。
 さて我々の乗った列車は前回「ベルリン急行」と書いていたが,後で調べてみるとベルリンからアテネまで行く「バルカン・エキスプレス」であった。ここで訂正をしておきたい。このバルカン・エキスプレスのブカレスト出発が遅れたため,ソフィア到着は8月12日の午後1時45分になってしまった。
 ソフィア中央駅は円形を生かした近代的建物であった。駅前の広場から市電がでていて市内の交通はほとんど市電で用が足りるぐらいのこぢんまりした街である。ソフィアは周囲を山に囲まれた標高550メートルの盆地にある。このソフィアはヨーロッパでも最も古い都市の一つで昔のセルカデという名前で呼ばれていた。ソフィアと名乗るようになったのは14世紀以降である。オスマントルコ支配の時代にはイスラムの教会が幅をきかし,キリスト教の教会は人目をさけて半地下に作られていた。
 駅で円とブルガリアの通貨レフを交換したが1レフが134円であった。そして駅前から早速タクシーをつかまえて,今夜と明日の宿を確保するため,バルカン・ツーリストへ向かった。バルカン・ツーリストでは1泊4人で100ドル位と予算をいうと,予約できたのはホテル・ロディナという4っ星の1泊ツインで54ドルだった。このホテルは駅と繁華街の真ん中にあり20数階建ての一流ホテルである。国際的ホテルなので,キリル文字とローマ字が併記してあったので安心した。ホテルの受付は我々が子供連れだと分かると,
「それでは続き部屋をとってあげましょう。」と19階の隣り合わせの部屋をとってくれた。そしてしばらくすると人が来て,二つの部屋の間のドアのノブを取り付けて外に出なくても行き来ができるようにしてくれた。
 窓からは緑と白い建物がミックスしたソフィアの風景の半分が見える良い部屋だった。本格的な観光は翌日とし妻と二人でソフィアの街をぶらぶらと歩くこととした。子供達は,
「疲れているから外に出たくない。」とベッドにもぐりこんでしまった。街を市電にのったり歩いたりしながらしばらくぶらついたが,こぢんまりして清潔な街という感じで市民達の暮らしもルーマニアから見ればずっと豊かに見えた。その日の夕食はホテルの食堂で食べることにしたが4人でステーキ中心の食事でワインをとって38レフ余り,円にして5千円一寸で味もまあまあだった。但し我々子供連れを案内した食堂は第2食堂ともいうべき所で,正式なディナーを食べる所には子供連れは入れてもらえないらしかった。
 このホテルや町で気がついたのは,外国人の姿が多かったことだった。ブルガリアはソ連と同じ様にアジア人やアラブ人それに黒人など外国人
の研修生や留学生を沢山受け入れているらしく,幾組ものグループに出会った。ホテルであったアジア人はたどたどしい日本語で,
「貴方は日本人ですか。私は朝鮮人です。」と話しかけてきた。しかし,朝鮮入と名乗らなくとも,アジア人の中でも朝鮮人は必ず金日成のバッジを胸につけているので一目で分るのである。
 翌日はユーゴスラビアへ行く切符を買いに,またソフィア中央駅まで出かけなければならなかった。「地球の歩き方」によれば国際線の切符はブルガリアでは非常に高いので,まず国内線の切符を買って越境しろと書いてあった。しかし,時刻表を見ると国内線と国際線が分れていて,どうも国内線の切符では国際線に乗れないらしい。そこでユーゴスラビアの国境の次の町ニスまでの急行券と乗車券を買うことにした。1人13.6レフ約1800円であった。このブルガリアの国際列車の料金の高いのには皆泣かされるらしく,同じ列車にのる外国人達も同じような方法で切符を買っていた。

ソフィアで知った日航機墜落
 切符を手に入れてホテルにかえり,市内観光に皆で出かけることとした。ソフィアの名所はレーニン像のあるレーニン広場やデミトロフ廟を中心にまとまった地域に密集している。レーニン広場から少し先にセント・ネーデリア教会があった。
 1878年トルコからの解放後建てられた円い屋根の教会である。少し行くとセント・トペカ教会があり,これはイスラムの支配下に作られた半地下式の教会であった。ここまでくると教会と言っても,ロシア正教の教会である。西ヨーロッパのローマ・カトリック教会の絵画は,ルネッサンス後はキリストもマリアも人間らしく画かれているが,ロシア正教では教会の中にかかっている絵画がルネッサンス以前のローマ教会のものの様になんとなく暗く素朴な感じであった。次にアレクサンドル・ネフスキー教会にでかけたが,この教会は露土戦争でブルガリア解放のため戦死したロシア兵をたたえて造ったネオ・ビザンチン様式の教会
で,1882年から40数年を経て造られたもので,バルカン半島最大の教会である。アレクサンドル・ネフスキーとはアレクサンドル2世の守護の聖人の名前からとったものである。内部にはロシアとブルガリアの有名な画家の壁画が飾られている。我々が入って行くとフランス人の観光客がいてガイドから説明を聞いていたので、その後を従いて回ることにした。すると一行の中の30歳ぐらいの女の人に,
「フランス語がわかりますか。」と聞かれた。
「わかります。」と答えると,
「今少し前日本で日本航空の飛行機が墜落して全員死亡したというニュースが入った。」と教えてくれた。
 それが日本航空機の東京から大阪行きの墜落事故のニュースだった。それから2,3日はどこへ行っても我々を日本人と見ると
「日本人か、飛行機が落ちたよ。」と言われ続けた。

 納豆定食はソフィアが一番
 ソフィアの郊外ビトシャ山の麓に日本の資金で建設された,ブルガリアでは最高級のホテルであるホテルニューオータニ・ソフィアがあり,中にある日本レストラン「さくら」で日本食が食べられるというので,昼食はここで食べることにした。着物を着た日本人とブルガリア人のウエイトレスがいる数寄屋造り風の建物で,私達は豚汁とか味噌汁,お新香,焼き魚などをそれぞれ注文し,舌鼓を打った。今までほとんど食が進まなかった息子も納豆定食を注文してむさぼるように食べた。この息子の評価によると,今でも東ヨーロッパで一番素晴らしい国はブルガリアで,それは納豆定食が美味しい国だからということである。私と妻は黒海でとれたすずきのような魚の焼き物を食べたが,これが醤油をつけて食べるとあっさりした日本風の味でとても美味しかった。お値段の方はちょっと高く,軽い昼食代が昨夜の豪華な夕食代の数倍の値段であった。
 私達が食事をしているところに,元気のよい60歳ぐらいの日本人のおばさんがやってきて,カレーライスを注文して,大きな声で,
「ここはとても高いから,カレーぐらいしかたべられない。」とぼやいていた。カレーでも10レフで1340円であった。そして,彼女は店の日本人の女の子に、
「日本の飛行機が落ちたそうだけど知らない。」と聞いた。女の子が何も情報を持っていなかったので,私がフランス人から聞いた話を又聞きで伝えると,それから,彼女は自分の話を始め,
「私は,アメリカに住んでいて旅行社をやっていて,今はアメリカ人の団体を連れてここに来てこのホテルに宿泊しています。」というものすごい活動的なおばさんであった。話の中で,
「息子がお腹の調子をわるくして困っている。」というと,
「良い薬をもってきているからあげる。」といってわざわざ自分の部屋まで行って薬をとってきてくれた。その薬はピンクのシロップでとても良くきいたので,薬を飲み続けた息子のお腹の調子はそれ以降調子がくずれなかった。
 ホテルニューオータニ・ソフィアは日本風の庭園もある近代的なホテルで,日本のホテル・ニューオータニに比べても遜色のない立派なホテルである。しばらくホテルの中を見物してから,また,タクシーで市内にとって返し,午後もまた観光を続けることとした。1576年にトルコ人によって建てられたバーニャ・バシ・モスクやセルデカの遺跡を訪ずれた。このセルデカの遺跡は普通の横断地下道のなかに発掘された壼や全体像の模型や発掘作業の写真が陳列されていた:。それからソフィアの名前のもととなったビザンチン様式とロマネスク様式のミックスしたセント・ソフィア教会や,アレクサンドル2世の解放者記念像などいくつかの名所を見た。建国の父デミトロフを記念したモスクワのレーニン廟そっくりのデミトロフ廟は,残念ながら拝観日でなく中を見ることができなかった。
 夏のあつい日であったので,観光につかれた子供達は急にオレンジジュースが飲みたいといいだした。ところが北国のブルガリアでオレンジジュースなどというしゃれたものはどこにでもは売っていない。やっと,近くの大きなホテルのバーに入りオレンジジュースを注文できたが,生のオレンジをしぼった本物のジュースだったが,値段は日本のホテル並みで1杯約800円だった。我々夫婦が一緒に飲んだビールの約4倍だから,現地の人がたやすく飲める値段ではなさそうである。
 その夜,ホテルのテレビでは話はわからないが,山の中の日本航空の飛行機の残骸や消防団の人達の姿を写し出していた。ビッグニュースはた
だちに全世界に伝わるということが実感で分った。
 そして,翌8月14日の朝は早起きをしてソフィア中央駅に行き,7時15分発の列車で第5番目の訪問国ユーゴスラビアへ向かった。

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