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インフォームド、キューバの医学ネットワーク InfoMed、 Cuba’s Medical Network InfoMedの話は、平和のための牧師(米国クリスチャンのキューバ援助団体)と、この団体のほぼ400台のコンピュータをキューバへ輸送に関する、米国政府との対決によって既にメディア注目を集めた。 ほとんどのメディアが事件の一断面だけを報道するが、全容を知るには背景と最後まで事実を追求することの双方が必要である。 このような事実の追求は、対決の解決についての詳細と未来の光明を含んでいる。 キューバの医療制度(先進国の水準に並ぶ高度で精巧なシステム)が資金不足で危機に陥っているので、キューバサイドのInfoMedプロジェクトは3年前に開始された。 現代の医療技術の水準を保持するに不可欠な、雑誌や教本等の医学情報の購入するための予算は、特に徹底的に削減された。 この問題を解決するための手段が、医師、医学生及び研究者へ情報を伝達するIT医学情報ネットワークの創成であった。 InfoMedとそれを実施する手段が、キューバにおいて計画された。 パン・アメリカン健康機構が、医学研究計画を目的とする電子ネットワークを作成するキューバの計画を知った。そこで、極めて重要な機材(ネットワーク・ファイル・サーバー)の一定部分は、国連開発計画の資金で調達された。 湾岸地域疫学者フアン・リアードン博士、及びデービッド・ウォールド(シリコン・バレー・エンジニア)が、厚生省の担当部局であるキューバ国立医学情報センターのオフィスを訪れた時、彼等は、IBNコンパチ・パソコンの形態をしたInfoMedのエンドユーザ端末が、決定的に不足していることを知った。 帰国した2人は端末を集めてそれをキューバで配布する、米国InfoMedという組織を作ることを計画した。(彼等は2か月内に200セットを集めることを計画したが結果はほぼ400セットが寄贈された。)20人のボランティアの協力を得て、北湾岸と南湾岸にそれぞれ工房を作り、各個人と施設に寄附する端末を、修理したり再組み立てしたりした。 ディヴ・ウォールド及びフアン・リアードン博士は、最初キューバへ端末の輸送を準備中に障害にぶつかった。そこで彼等はバプテスト教徒の世界組織「平和のための牧師」に、キューバとその他の国や地域で人道的な援助を行った専門知識と経験を問い合わせた。 「平和のための牧師」の組織は、特別にキューバへ端末を持ち込む西海岸友好キャラバンを組織することに合意した。そして、米国政府のキューバ対する厳格な通商禁止に対する、公の挑戦である輸出ルートを開くことを選んだ。 コンピュータ端末の大部分を積み込んだ大型ヴァン2台を含む、12台の車両に乗った約100人のボランティアキャラバン隊員を、牧師達は1996年1月31日にメキシコとの国境ティファナまで先導した。 3台がテキサス州ラレド、2台がニューメキシコ州バッファローと先行の5台が国境通過に成功したにもかかわらず、牧師達は税関係官、サンディエゴ(国境の市)警察、米国財務省係官、サンディエゴ消防署員、FBI及びその他を含む米国政府関係者の出国を妨害する隊列に遭遇した。 リークされた米国政府の計画文書によれば、隊列の使命は単にコンピュータ端末の通過を妨害するだけでなく、キャラバン隊員を捕らえることであった。 5時間の乱闘の末彼等は捕らえられ、国境の通過点オーティ・メーサの米国・メキシコ間の正常な交通がすべて中断された。 自動車用の通路は車で一杯になってしまったので、キャラバン隊員は積み荷を下ろして境界を越えて、手持ちでメキシコに持ち込むことを試みた。 ボランティアよりも圧倒的に多い米国政府関係者は、キャラバン隊員からコンピュータ機材を強引に奪い取った。 財務省係官に首を絞められたボランティアの一人が入院し、彼を含む数人の隊員が犠牲となった。 政府関係者は、2台の大型ヴァンのロックを切断し、彼等のロックをセットしてすべての積み荷を確保した。 2月17日に、サン・イシドロ境界地点で、ティファナに少数の残ったコンピュータを持込むための、2回目の試みが行われた。 この試みは通過を許可された少量の薬品と関連資材とともに、同じ運命に遭った。 「しかしコンピュータ駄目だ!」 同じ光景はカナダとバーモント間の境界地点でも見られ、同じ結果となった。差し押さえられたのだ! 数日後、「平和のための牧師」は「生命のため緊急に」手続きを取ると発表した。それはコンピュータがリリースされ、キューバに引き渡されることを認めろという要求であった。 「地域社会機構のための宗教間基金」(平和のための牧師の上部機構)のディレクター、ルーシャス・ウォーカー師、サンホセのセジャ・サンガリ、ブリティシュコロンビア州ビクトリアのブライアン・ロハティン、ルイスビルのジム・クリフォード、ペンシルバニア州ピッツバーグのリサ・バランティがハンガーストライキを行った。 この5人はサンイシドロの境界地区に張られた「路傍の礼拝堂」と呼ばれたテントの中で、水の混合物、レモンジュース及びメープルシロップだけで生き続けた。彼等は最後にはワシントンDCへ移動した。 連邦政府は、バーモント境界で没収されたコンピュータのリリースを許可した。そのためカナダ市民ブライアン・ロハティンは、2か月以上続けたハンストを終了した。 統一メソジスト教会の社会総局にすべてのコンピュータをリリースさせると米国政府が発表して、「生命のため緊急に」の運動が始まった時点から、94日後の1996年5月24日に運動は終了した。 これは、強力なロビー活動、「平和のための牧師」による組織活動、統一メソジスト教会、ニューヨークのチャールズ・ランゲル共和党員によってリードされた、約70人の国会議員と湾岸地域議会メンバーの努力の結果であった。 それは素晴らしい勝利であった。 米国政府がすべてのコンピュータの梱包がキューバへ輸送する許可を与えたと発表したが、7月22日に最終結果はほとんど書かれていなかった。 米国政府は、キューバへ人道的な援助を送るためのライセンスの適用をずっと主張した。そして、メソジスト団体はそのようなライセンスを適用されたことに異議を申し立てた。 しかし、メソジスト団体は、人道的な援助にはライセンスを必要としないという原理を「平和のための牧師」とともに堅く守って、この事実を否定した。 「 平和のための牧師」は次のことを発表した。再組織された友好キャラバンは、連邦政府の敵対的態度によって最大8か月も遅らされた。しかし、1995年9月12日にサン・イシドロ境界地点を、キャラバン隊員とコンピュータが越えて、9月13日にティファナからハバナへのすべての人と物を運ぶ飛行機が続けて飛んだ。 ここでプロジェクトInfoMedが終わるわけではない。キューバの医学の情報ネットワークは何千ものコンピュータ端末を必要としている。私たちは、キューバの人々に純粋で人道的な援助をもたらすという約束を実現するために、コンピュータ設備及びボランティアを求め続けるであろう。 1997年5月30日に、カリフォルニア州サンホセにおける、アメリカの医学情報協会の春期会議でInfoMed−アメリカ代表は、キューバのInfoMedに関する論文を発表した。 論文のタイトルは「開発途上の世界の中で医学情報を支援する。ケーススタディ キューバのInfoMed」であった。 |
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